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開館記念特別展「時を拓く、時代を創る。-時の開拓者たち-」

中津の偉人といえば「黒田官兵衛」と「福澤諭吉」の二人が思い浮かぶ。戦国の世に終止符を打ち近世を拓いた黒田官兵衛と、封建社会を批判して日本を近代化に導いた福澤諭吉は、日本史を語る上でも欠かすことのできない人物です。日本を創った彼らによって、わが郷土中津もまた近世・近代と発展をとげました。
本年度、中津市には中津市歴史博物館、新中津市学校という二つの文化施設が新たに開館いたしました。また、市制90周年や令和改元など節目の年でもあります。開館記念特別展では「新時代の幕開け」をテーマに二人の時代の開拓者にスポットを当てます。

開催概要

■会期 2020年1月18日(土)~3月1日(日)
■開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
■休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)
■観覧料 500円(中学生以下無料)、団体300円(20名以上)※左記料金で常設展もご覧になれます。
■主催 中津市歴史博物館
■後援 慶應義塾

テーマ1 黒田官兵衛と近世の幕開け

黒田官兵衛孝高は、豊臣秀吉の軍師として天下統一の働きをした人物である。中国・四国と天下の軍勢を率いて転戦し、九州平定後に豊前中津を拝領して入部、中津城を築城した。
西の関ヶ原「石垣原の戦い」では、“如水の赤合子”として戦場で恐れられた白檀塗合子形兜を着用した。今回中津へは初めての里帰りである。

白檀塗合子形兜(もりおか歴史文化館所蔵)

テーマ2 福澤諭吉と近代の幕開け

幕末明治の思想家・福澤諭吉。日本の文明化を先導した彼の思想を形作ったのは、生涯で体験した3度の洋行であったといって過言ではない。
諭吉は洋行の中で大量の英書を購入し、また家族にさまざまな土産を買って帰った。ここでは家族の元や慶應義塾に伝わった、諭吉が実際に手にした西洋の文物を展覧する。

乳母車(慶應義塾福澤研究センター所蔵)

テーマ3 変革

時代の移り変わりは自然と起こるものではなく、大きな力が働いて変革という動きとなる。近世へは関ヶ原の戦い、近代へは明治維新という変革が出来事としてあげられる。黒田官兵衛は東軍として中津から出陣し、豊後大友氏など石田方(西軍)と石垣原(別府市)にて戦った。同じく東軍として杵築城にて大友軍を迎え撃った松井家に残る書状は、当時の緊張感を伝える。
福澤諭吉は維新をどう捉えていたのだろうか。薩摩土佐の主張する王政復古は「私意より出てし公平論」といい、徳川家への忠義を唱える紀伊藩などの譜代家門については「奮発せんとすれとも、内実力なし」と批評している。慶應義塾を創設した諭吉は、学問による独立を説いた。また中津にむけても富国強兵のために西洋を学び、近代化を担う人材の育成が必要と檄をとばしている。

内府ちかひの条々(松井文庫所蔵)
島津祐太郎宛福澤諭吉書簡(慶應義塾図書館所蔵)

テーマ4 謀殺・暗殺

時代が急激に動く時には謀殺や暗殺の手段を用いることもあった。
天正15年(1587)、豊前六郡を拝領した黒田官兵衛に対して、それまでこの地の領主であった宇都宮鎮房を中心にした国人一揆が起こった。一揆の抵抗は激しく、諸城に拠って黒田方と攻防を繰り広げた。一旦和睦をするも、中世武士の誇りをもった鎮房は最後まで黒田の旗下には加わらず、中津城内で謀殺された。
尊王攘夷を掲げた幕末の志士たちは開国派に対し、時には暗殺という方法をとった。彼らにとっては時代を変える行為であった。福澤諭吉は攘夷や佐幕の運動には加わらず、一線を画したが、洋学者であった諭吉はその的になり、『福翁自伝』にも「暗殺の心配」という章が設けられている。中津の攘夷派だった増田宋太郎や朝吹英二は諭吉の暗殺を企てるも失敗。二人は次第に諭吉の思想に惹かれ、慶應義塾に入塾した。

黒田一成公略伝(九州大学附属図書館付設記録資料館九州文化史資料部門所蔵)

テーマ5 築く・廃す

天正16年(1588)1月、黒田官兵衛は初めて自らの居城の築城にとりかかった。豊臣秀吉の軍師として姫路城や大坂城の縄張にも携わったとみられ、その技術をふんだんに盛り込んだ設計であったことはいうまでもないだろう。穴太積みによる高石垣、海に面した要害、支配の城として堂々たる姿であった。
封建時代の象徴である城は、廃藩置県によって無用の長物となり、明治6年(1873)、陸軍省により廃城令(全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方)が発布された。中津城はそれらに先立ち明治3年に廃城の届けが出されている。本丸建物は悉く取り壊され、県庁のみ残されたが、明治10年に西郷隆盛に呼応して蜂起した中津隊によって火がかけられ灰塵に帰した。

豊前中津城絵図(富原文庫所蔵)

テーマ6 近世封建社会の形成とその終焉

「封建」とは主君が臣に領地を分け与え統治させる政治体制のことで、日本では武家社会の代名詞である。特に徳川幕府による幕藩体制は近世封建制とも呼ばれている。豊臣秀吉による太閤検地は、その統一的な検地とそれによって算出された石高によって大名を配置するもので、徳川幕府の幕藩体制に繋がった。豊前に入部した黒田官兵衛も早速に検地を実施して生産高の把握と兵農分離をはかっている。
このような近世の幕藩体制は門閥的な階層社会を生み、福澤諭吉はそれを批判した。『文明論之概略』の中で諭吉は中世ヨーロッパの社会制度である「フューダル・システム」の語を封建制と訳し、日本の封建制はこれに近似することを紹介した。そして西洋の社会は封建制を人民の智力をもって克服したことを主張しており、智力による日本の文明化を啓蒙した。

『文明論之概略』草稿(慶應義塾福澤研究センター所蔵)